奥山隆農園について
奥山隆農園について
園主の紹介
S.25年 八丈島の永郷で両親ともに教員の3男3女の5番目の次男として生まれる。
当時は灯りはランプ、水は雨水タンク。バスもここまでは来ないという地区で育つ。
素足の裸ん坊で海岸や校庭を走り回っていた坊主もやがて進学。
中学から東京都世田谷で兄弟で下宿生活を送り高校卒業後帰島。自家の民宿「うるま荘」を手伝う。
この頃、幼い頃より馴染んできた八丈太鼓にさらに興味を持ち、いろいろな先輩方の太鼓に接することができ今につながっている。
20歳で八丈島農業振興青年研究会に入会。観葉植物生産者の仲間に入れてもらい、手間替えで農作業のイロハを覚える。
露地でロベやストレチアをハウスではミリオグラタス、ドラセナアイチアカを栽培。
八丈町消防団に入団し2番繰法員を務める。
社会人サッカーチーム、大声でただただ走り回るこわ〜い「デストロイヤー」を結成。
八丈島大賀郷青年団に入団し妻節子と出会い25歳で結婚。
5年後、女ばかり7姉妹の末娘である妻の、実家奥山家6代目として婿養子に入り農業後継者となる。
ロベ、モンス、ルスカスを軸に楊貴妃、カーネーション、フリージアなど切花も始める。
40歳頃からサンダーソニアを取り入れ、その後鉄骨ハウス、パイプハウス等を建設し現在はサンダーソニアを中心にパッションフルーツ、フリージア、モンス、ユーカリなどを栽培している。
この間、1女2男に恵まれ長女の小学校入学と共にPTA太鼓クラブをつくり、その後現在の八丈太鼓愛好会「月曜会」となる。この頃八丈太鼓「六人会」結成時メンバーとなり国内外の活動参加が始まる。
また同時に小学生対象の少年サッカーチームを作り指導を始めた。
2019年4月中旬発症し 2019年6月3日悪性腹膜中皮腫と知らされ、その5日後6月8日未明に亡くなりました。病気と闘った2か月弱の日々でした。
園主の妻の紹介
S,26年 八丈島大賀郷大里で代々農家を営む奥山正直の子供7人姉妹の7番目として生まれる。
父方の祖母の実家は大里ふるさと村として保存されていたが、先年の火事で焼失。
高校卒業後東京の金融機関に勤務。その後Uターンし八丈町職員となる。
長女出産後退職し夫と共に花卉園芸の世界に没頭。
何よりも植物の生態を観察し試すことが大好きで日焼けなどなんのその。
フリージアやパッションフルーツ、イチゴの栽培、野菜栽培、経理などを担当。ホームページ、ブログの管理人。
子ども達は現在長男家族が島暮らしを始め、農業を手伝ってくれている。次男は父親譲りのサッカーマンでお盆や正月に帰島する。長女夫婦と孫のタクボンとミー、次男夫婦と孫のこゆちゃんとあお、りょうとりゅうの年に数回の里帰りがジージ、バーバは待ち遠しい。
H.31/1/1
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